費用対効果
最近、あちこちでジュニアユースのセレクションや練習会が始まっている。
ホームページや宣伝広告のビラを見ると、それ相応の事が書かれている。
我々指導者から見れば、そのチームがどんな取り組みをしているのか、どんな環境で活動を行なっているかは一目瞭然だが、保護者の方々から言えば分かりづらいと思う。
広告には内情とは打って変わって、逆説の形容詞が用いられている事が多分にある。
すごい、楽しい、うまい、強いなど明瞭な認定基準となりえず、総合的な判断によらなければならず、それでも境界線上の例えが羅列される。
これは少年サッカーチームでもよくある話だが、某チームのホームページには嘘の事実まで宣伝されていた。
中央大会常連、地域では強豪、部員数の割り増し。
そんな嘘を書いてまで選手を獲得しようとしている。
むしろそれを掲載して、入部された選手、保護者方の心中は蓋を開けてビックリであろう。
結果も伴わなければ、内容も伴わない。
では何故嘘をつくのか?
理由は一つしかない。
自信がないからであろう。
そのチーム、練習環境、試合環境、指導者と、どれを取っても自信がないから虚を並べてしまう。
自分たちはすごい、うまい、強いと大きく見せようとするのも分かるが、それはあくまでも人が判断する事で自分から言っては元も子もない。
高いお金を払って通わせるサッカースクールも、まさに同じで実際は我々から見ると何をしているのか全く分からない。
それでもJユースにセレクション無しで入れるなら入会させる意味は充分にあるが、そこいらの街場のスクールでは目に見える会員獲得から得るお金集めの集団にしか思えない。
本来は中身が伴ってこそ胸を張ってやっていますと言えるはずなのだが、そこをどう捉えるかはスポーツをやる上で最も重要なことかもしれない。
例年、全日本東京都中央大会の会議で言われる事がある。
それは、毎年出場しているチームはほぼ同じという事。
その理由は単純明快だ。
中央大会に出られているチームは、選手は変われど指導者と環境は変わらない。
それだけでも優秀なチームという証になるからだ。
強いだけがすごい訳ではないが、スポーツの世界は必ず勝ち負けがある。
勝ちを求めないで何を求める?
サッカーの楽しさを伝えると言って、負けても良いと言うスクールの指導者…100連敗した後に子どもたちが笑顔でいられるとでも思ってるのか?
本当に悔しい思いをしないまま、中途半端な形でサッカーに携わって行った結果、その選手がサッカーを続けていけるとでも思っているのか?
結局、指導力の無い指導者の言い訳が嘘の発言になるのが、これで立証出来たはずだ。