2017.11.01
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城は山の上に建てるのがセオリー
本能寺の変
織田信長を仇討ちした、明智光秀の三日天下という話はあまりにも有名な話だ。
信長の首をとった明智だったが、信長の家臣であった豊臣秀吉に呆気なく敗戦した。
実際には、豊臣が高松から戻った日数を含めると12日といわれている。
豊臣は高松で毛利元就との講和条約を結ぶ訳だが、その話も信長が殺されてから直ぐに締結し戻ったと言われている。
豊臣が天下人になるまでには、ここから沢山のライバルたちを策略によって蹴落とす所から始まる。
信長の長男信忠は、信長と一緒に明智に殺された。
しかし次男信雄と三男信孝は生き残った。
信長の孫(信忠の息子)三法師という直系の子孫も生きている。
家臣で言えば、柴田勝家が絶対的なナンバー2であった。
農民あがりの豊臣が、ここから天下統一までのストーリーが面白い。
頭のキレと行動力に長けていた豊臣秀吉は、強運の持ち主であったとも言える。