懐疑論
良い指導者とは、選手と同じ目線になれる事が重要だ。
同じ目線とは、選手の気持ちを理解すると同時に、一緒に困難に乗り越える術を考えてあげることである。
決して綺麗な道を作り上げることが、子供たちにとって最良かというと、そうでもない。
綺麗な道とは大人が手助けして全て嫌なものを排除して、子供たちのやりたいように、やり易い様にすること。
低レベルな話だが、上記の子供が大人になると、現代の新卒の社会人もそうだが、仕事が嫌だったら辞めれば良いという発想になる。
困難に立ち向かう、難しい案件を乗り越えてこそ、自分という一人の人間が確立していく。
我々のような指導者が、世間一般的なサッカーチームでコーチをしているかと言えばそうでもない。
大概のサッカーチームコーチは、仲良しクラブで反発もなければ、クレームも起こらないように仕向けている。
保護者の前では良い顔をして、会員の会費目当てのロクデモないチームばかりだ。
特にスクールと呼ばれるものについては、どこの誰だか分からない人間が適度に運動をするという、何の意味があるのかすら理解し難い事を行っている。
最近では目の肥えた保護者の方々には化けの皮も剥がされ、中身の薄い事がバレているようにも見える。
サッカーの裾野を広げたいならば、本気で取り組むチームが増えなければ、日本サッカーのレベルなど上がる訳がない。
その本気勝負をしないチームの、負けの言い草は決まって「ウチのチームは勝たなくても良い」である。
馬鹿も休み休み言え。
サッカーがスポーツである以上、勝たなくて良いなど言って良い訳もなく、そんな指導は世界のどこの国を見てもあり得ない。
そのような事を軽々しく言えるコーチのいるチームには、子供を預けない方が良いのかもしれない。