本当の意味で練習は裏切らない

日本の社会にはどこの世界に行っても競争がある。
それは大人も子供も必ず経験をする。

それには良し悪しがあると思うが、それを見た目で判断するほど危険な事はない。

例えば、ある素晴らしいメンバーに選ばれたとか、ある素晴らしい人から評価されたとか、一喜一憂する気持ちも分かる。
しかしながら、それはその場その時の話で、長い目で見るとその一端に過ぎない。

私がよく言うのは、例えば大会で優勝した時に今日だけは最高に喜んで良いと言う。
明日からはまた一から始まる訳で、そんな余韻に浸っている場合ではない。

ところがそこに勘違いが生まれるとしたら、過去の栄光(前日までの記憶)を引き合いに出し、その事を永遠に言う、ある種の自慢話を引きずる事である。

そんな事より一番大切な事は、それに立ち向かった姿であったり経過であり過程である。
出来たことはあくまでも結果であり、それが完成系ではない。

我々がサッカーの指導者として立ち向かっていることは、選手たちに上手くなってもらいたい、強くなってもらいたい、プロになってもらいたいという思いがあるのは当然だが、本質的な事はそこではない。
サッカーを通じて、人として成長してもらいたい、チームの仲間との連携や頑張ることの素晴らしさを選手たちに味わってもらいたいと思っている。
だからこそムキになる訳で、単に勝敗の話だけであれば興味は半減する。

だから試合は勝ち負けではなく、その中でどういう事が行われたのかが問われる訳で、立九指導者は全員が共有をしている。

この事を保護者の方々にも理解してもらいたいし、もしそう言う目線で子供たちを見る事が出来たら、とても有意義な少年サッカーライフを送る事が出来る。

結果論はジャーナリストや評論家に任せておけば良い。

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